Japanese Germ Warfare in the Battle of Nomonhan

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Kim Sung
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Japanese Germ Warfare in the Battle of Nomonhan

#1

Post by Kim Sung » 06 Jan 2007, 08:46

Split from http://forum.axishistory.com/viewtopic. ... 85#1002185


http://www.vcn.bc.ca/alpha/Reconciliation.htm
Settled in the suburb of Harbin and Pingfang, the Kwantung Army’s Epidemic Prevention and Water Supply Unit (Unit 731) in China was supposed " to supply clean drinking water and to prevent the spread of infectious diseases". In reality, it was a base of research in and production of biological weapons, where barbarous acts such as experiment and vivisection on human beings were carried out on a daily basis. All these activities defied the norms of human morality and international law. The following is an outline of the criminal acts I personally participated in Unit 731:

Germ warfare in the Nomonhan Incident: I participated in the mass production of pathogenic germs from July 1939 onwards and delivered the same to Jiang Jun Miao on the front-lines of Nomonhan. I heard later that those germs were flung into the River Horustein.

http://harpers.org/WeTookDownTwoToday.html
What was the state of Unit 731 at the time of the Nomonhan Incident?

Many of the Unit 731 members went to Nomonhan. I figured their duty was to purify water. But those who were left behind started making germs. My assignment was to prepare culturing cans for germ growth. I was also in charge of transporting the microbes we called "stumps." Other members of the Junior Youth Corps who knew how to drive participated in the incident directly.

What did they do?

They said they flung the germs into the Horustein River.

What types of germs were thrown into the river?

I think they were typhoid, paratyphoid, and dysentery bacilli.
Any additional info will be appreciated.

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Kim Sung
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#2

Post by Kim Sung » 06 Jan 2007, 14:40

http://www.asahi-net.or.jp/~ft1t-ocai/j ... onhan.html

(For translation, use http://babelfish.altavista.com)
関東軍防疫班は一九三六年八月、関東軍防疫部となる。防疫給水部となり、七三一部隊の秘匿名称が与えられるのは一九四〇年の七月のことであった。つまり、ノモンハン事件は石井部隊が防疫部であったころのこととなる。
 石井部隊がノモンハンの戦場に出動を命じられたのは、ジュコーフ(日本で通用している表記では「ジューコフ」が普通だが、ロシア語の発音では「ジュコーフ」と表記する方が原音に近い)の八月攻勢のあとのことで、各隊将校五、技師一、下士官一〇、技手三、軍属三〇で構成された四個隊が投入されたという。それぞれに自動車一、トラック二、大型濾水車一、手動濾水車三両が配属された。第六軍司令部の編成以後、将軍廟の六軍司令部に防疫給水指導本部が作られ、石井が本部長となって自身も前線に出て、人員・機材も増強された。任務の主要なものは、ハルハ、ホルステン川の濾化水を前線に補給することだったという。皮肉なことではあるが、軍医学者というよりは医事軍政家であった石井(軍医官として初の大将を狙っていたという)の医学上の功績で、生涯ほとんど唯一にして最大のものは、「石井式濾過器」の発明なのであった。
 ノモンハン戦時にソ連軍が日本軍に対して細菌兵器を使用したのではないか、との風説は作戦中に前線で実際に存在したことらしい。第二十三師団長・小松原道太郎中将の日記の七月一六日条には、同月九日よりソ連軍が飛行機により赤痢菌を散布した、との叙述があり、同趣旨の記述は第二三師団の情報要約にも見え、同師団の大隊長の日記にも、同じころ日本軍部隊に赤痢患者が出たとの記事があるが、ノモンハンのような場所で赤痢に罹患するものがあるていど発生するのはむしろ自然であるので、これをもってソ連軍の細菌攻撃の証拠とみなすことはできない。歩七二聯隊では、衛生条件が悪かったために当然発生したもの、とみていた。クックスの前掲『ノモンハン』には、七月に戦線を取材したドイツの通信社特派員がソ連の細菌戦を報じたとの記述があり、またソ連軍が自軍への細菌戦疑惑を「虚言」「悪意に満ちた誹謗」と反論した七月一四日付タス通信のコミュニケが引用されている。だが、日本軍が公式にソ蒙側に細菌兵器の使用を抗議したとの記録は現在まで発見されていないし、八月以降ソ蒙側の細菌戦にふれた記録は皆無になってしまう。細菌攻撃の風説じたい、日本軍からの細菌攻撃をソ蒙軍に対する報復として正当化する意図を持った、石井の情報操作と見る説もあることをここでつけくわえておこう。
 石井部隊のソ蒙軍への細菌攻撃が行われたのは、それ以前に二度失敗したあとの、九月初めのことだという。一九八九年に報道された関係者の証言によれば、腸チフス菌を培養したゼリー状の寒天を詰めた一八リットル入りのブリキ缶約二〇個を、部隊本部のある平房から軽爆撃機で運び、それをトラックに移して、ホルステン川上流で内容物を川に流した、という。平房から輸送してきた軽爆撃機は関東軍の航空部隊のものではなく、石井部隊の所有していたもので、同部隊ではパイロットの訓練を受けた医官も存在したという。作業に従事したもののうち、衛生下士官一名が罹患、死亡した。ただし、ソ蒙軍側には菌による被害の報告はなく、恐らく気がつかなかったものと思われる。科学的に見ても、このような方法で菌をばらまいても、細菌兵器としてはほとんど効果はない、というのは常識である。ノモンハンでの細菌戦の全体像については不明な点は多いが、石井部隊のチフス菌の件についてはハバロフスクでの裁判記録とも一致するので、戦後早くからあった憶測(クックスが前掲書の中で「「日本の左翼系作家何人かが」この話を広めた、と書いているが、その「何人か」のうちの一人はおそらく五味川純平であろう。同氏の『「神話」の崩壊』にこの件に関する言及がある)などと考えあわせ、以上の経緯はほぼ事実と考えてよいだろう。そして幾人かが指摘するように、これが本格的な生物兵器による攻撃を意図したものではなく、一種の実験でありデモンストレーションであったという推測も、おそらく事実をついているものと思われる。なお、ノモンハン戦後に「研究委員会」が設けられたが、その「第二委員会」での報告書(これは現存していないという)では、陣地に対するガス攻撃などの化学戦については考慮されていたが、細菌戦については言及がなかったという。陸軍側の冷静な判断では、ノモンハン戦に限っていうと、細菌戦の位置づけはその程度のものであった。
 このほか、ハバロフスク裁判の記録では、石井部隊が製造した細菌弾(野砲用の榴霰弾)が砲兵隊で使用されたという証言もあるが、これについては裏付けがとれない。
 もう一点だけ、史実と作品との接点をごく簡単に指摘しておく。石井は、日本における細菌戦部隊の生みの親であり、終始一貫してその指導者をつとめた。いわば、日本における細菌戦の第一人者であるだけでなく、彼自身が日本の細菌戦そのものといってもよい人物であった。しかし、医官は陸軍の中では傍流であった。各部(兵科以外)将校の主流といえば経理(主計)である。のみならず、石井はその医官の中でも傍流であった。医官の中の最大派閥である東京帝大出身者ではなかったからである。彼は京大の出身であった。
 そうした立場の石井が、細菌戦の研究を企画し、部隊をまとめ、運営を指導するには、当然、陸軍の中枢部の支持が必要であった。彼をバックアップしたのは、参謀本部では鈴木率道、そして陸軍省では永田鉄山であった。特に石井は永田を生涯の恩人と呼び、私邸に肖像を掲げ、七三一部隊の本部には、敗戦まで永田のブロンズの胸像が飾られていたという。史実ではノモンハン事件の三年前に、陸軍省の軍務局長執務室で横死を遂げている永田だが、『覇者の戦塵』世界では健在である、というより、関東軍司令官としてノモンハンの戦闘を指導している。そもそも『戦塵』世界に石井が存在するのかどうかが不明ではあるが、書かれざるこのあたりの事情は読者として非常に興味のあるところである。
According to this Japanese link, Japanese use of germ weapons in the battle of Nomonhan is undoubtable.

Forty-four members of the 731 Unit dispatched to the Nomonhan front after August offensive and their attempt to drop germ bomb failed twice. In the third try of early September, they successfully dropped germ-laden bombs to the Horstein river. But no Soviet or Mongolian casualites were reported.


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#3

Post by Kim Sung » 06 Jan 2007, 17:33

Supposed site of Japanese dropping of germs to the Horstein river (red circle)

Image

* Image Source: '赤軍興亡史' ('The Rise and Fall of the Red Army')

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